徒然。

備忘録

MIU404「久住」の「物語」

「俺はお前たちの物語にはならない」
この一言を最後に口を閉ざした久住の、語らなかった過去の物語を捏造してしまってしょうがないので、彼には悪いが「物語」にさせてもらう。
どれだけ口を閉ざそうと、どれだけ本当のことを話そうと、人間は勝手に「物語」を作ってカテゴライズをしてしまう生き物で、私自身カテゴライズされることが嫌いなのに、それをせずにはいられないのだな、というちょっとした自己嫌悪と、抗いきれなかった己への自戒をこめて。
本当に何故か久住に気を狂わせて感情がジェットコースターなのであちこち話が飛んでるけど。

結論からいうと、私は久住は「震災で全てを失くして、誰を恨めばいいのかも、何を許せばいいのかもわからなくて、何も失ってない人達を見下して神様のように生きることでしか自分を保てなかった男」だと思っている。この「物語」に行き着いた過程を、備忘録として書く。


さて、私がまず気になったのは、公式サイトの7月10日のニュース(https://www.tbs.co.jp/MIU404_TBS/news/)での久住を演じる菅田将暉さんのコメント。
菅田さんはこの謎の男(インタビュー時)について「この世には"404 not found"が無数に存在しています。(中略)人間にとって必要なものがぼくにとって必要とは限らない。世の中の事情とぼくの事情。善と悪では治められないグレーゾーン。ぼくが演じるのはそんな男です。」と仰っている。
これを見たときは「いやグレーゾーンどころか真っ黒やん」と真っ先に思った。ドーナツEPを売り、いたいけな(虚偽通報で公務執行妨害はしてたとはいえ)高校生をたぶらかして、いかにも胡散臭い初登場でなに言ってるんだ?と。


でも、久住の捜索で母親がいない、父親がいない、と家族の話がバラバラだったのを聞いて、嘘だろうけど、でもやっぱり本当のことも混ざっているのでは?親がどちらかいないとか、ネグレクトとか、天涯孤独とか、そういうのがあったのでは?と思った。
この時点でもう彼の「物語」を作り始めていた。

そしてレックとの通話での「人間じゃない」という発言。
これは自分が影も形も証拠も残さないことの比喩とも取れたのだけど、私はなぜか、「戸籍がないのでは?」と思った。我ながらなぜかわからないのだけど。(そして最後に志摩がバックドアの話をして戸籍を消していたら?と話していてゾッとした……)
もうこの時点で彼の物語は所謂「歪んだ幼少期」「可哀想な過去」に方向付けられていた。
(今気づいたけど菅田さんのコメント10話のタイトルじゃんこっっっわ、この時点でもう「人間じゃない」を知ってたのか???)


そして最終話の伊吹との会話における発言は、恐らくその殆どが本当のことではないかと思う。もうこれも嘘だったらこんな息をするように嘘をつけるやつは全然グレーゾーンなんかじゃないわ真っ黒じゃん!!!てなる。いやまあこの話は全て私の妄想による「物語」なので嘘も真もないわけだけど。
閑話休題


さて、「許されたくないわい」という発言は、許されたことがあるように聞こえる。
伊吹のように、何かあるとすぐ自分のせいにされて、疑われて、でも先生や大人から優しく「つらいのはわかるから、話してみて?」とか、「怒らないから正直に言って?」というようにやってもないことをやったことにされて、勝手に許されるような、ステレオタイプな「歪んだ幼少期」「可哀想な過去」を想像する。

そして「神様は俺より残酷や」に続く発言。泥水に流される(飲み込まれる?)は恐らく東北の震災を意味していると思った。
ここで、もしかしたら「可哀想な過去」なんかなくて、幸せだったかもしれないのに震災で全てを失くしたのかもしれないし、「可哀想な過去」に負けないように頑張っていたのに、全てを失くして、誰を恨めばいいのかも、何を許せばいいのかもわからなくて、それがスイッチとなり、転がり落ちてしまったのかもしれないと思った。
関西弁なので阪神淡路も考えたけれど、野木さんの過去作(アンナチュラル、獣になれない私たち)でも東北の震災が取り上げられていたのと、冒頭で「復興五輪」に関して小競り合いが描かれていたのと、阪神淡路は津波の影響大きくなかったので、東日本大震災で間違いないだろう。
関西で生まれ育ったであろう久住が本当に東北にいたのかは不明だが、そもそも全て私の勝手な妄想なので、とりあえず彼は津波で全てを失ったのだと思う。

余談だけど、震災で恨めるのなんか神様しかいないのに、恨むべき神様すら持たない日本人の神様は世間なので(拠り所としてのキリスト教イスラム教のように、人の孤独に寄り添う宗教が日本にはなく、その為日本人は世間に依拠している、という話を聞いたことがあるのだけど、長くなるのと孫引きなので割愛)、久住は世の中の人間(=恨むべき神様)を見下してクズやバカから搾取して何が悪い?取り返してるだけや、と考えているような気がした。空を見上げる背中を見ていたら。
誰を恨めばいいのかも、何を許せばいいのかもわからなくて、やるせなくて、結局汚いものも不幸も見ないで生きてる、可哀想だ復興五輪だ言いつつ自分じゃなくて良かったと無意識に思ってるんだろ、みたいな、逆恨みに辿り着いてしまったように見えてならなかった。
誰のせいでもなくて、だからこそ全てを、なにもなくさずに生きているもの全てを見下して、自分が神様にでもならないと保てなくなっていたように思えてしまう。


とまあ可哀想な過去があるのでは?と思ってしんどくなってたのに、伊吹と志摩が薬嗅がされて悪夢見たりしてた間に、しんどくなってたのはサクッと忘れてたので、橋に頭をぶつけて、警察の暴行を友達に証言してもらおうとして、その友達がドーナツEPでラリって使い物にならなかったシーンでは普通にスカッとした。
のに!!!!!
呆然として志摩に額を拭かれたときの無防備な目をした久住を見て、何故かすごく心を揺さぶられた。
やっぱり可哀想な過去があるんだ、と思った。まあそれも本人に「お前たちの物語にはならない」と一蹴されたけど。


この久住の「俺はおまえ達の物語にはならない」は、「許されたくないわい」に通じていて、「震災で全てをなくしたから可哀想」も「可哀想だから仕方ない」も全部を拒んでいるような気がする。
罪は罪だし、それは正しい態度ではあると思う(罪と向き合うという点で)。
久住がどんなに不幸を背負っていようが罪は罪で、背負った不幸が震災だとしたら、同じものを背負ってる人なんかごまんといて、自分だけが不幸面すんな、ていう話だし。
だけど、過去を語らない久住はそれすらも許さないんだよ、そんな正論は聞きたくないし、言わせる気もない。
ましてや可哀想になんて同情なんかされたくもないし、可哀想だから仕方なかったって許されたくもない。
だってそれは許容でも容認でも赦免でもなくて、理不尽な不幸に遭った人間の「放棄」であり、「自分じゃなくて良かった」でしかないでしょ?だと思っている。
全てを失くした人間の心ケアを国がしっかりしていれば、失意のどん底にいる人間を掬い上げられる人間が側にいれば、久住は生まれなかったのかもしれない。震災に遭っても転がり落ちなかった人、転がり落ちてしまった人、それもやっぱり震災後のスイッチひとつだったのではないか。
スイッチひとつで転がり落ちてしまう人間を、たまたま転がり落ちていない人間が、「可哀想」で裁くのは、いや、許すのは、むしろ残酷なことだと思う。
何もかもを奪われた人間に「不幸だから犯罪者になった」という「自分じゃなくて良かった」を押し付けることだから。
そんな許しならほしくないよそりゃ。許されたら、不幸に加えて罪も背負わなきゃならなくなる。
そんな物語にはならない、という拒絶が、「許されたくないわい」「お前たちの物語にはならない」には籠められているように聞こえた。

久住は神様を信じてなんかいないし、救いを求めてなんかいないし、誰にも救えないんだろうな。それを望んでないから当然だけど。闇の中でしか生きられなかった人なのだと思う。
そういう人は多分たくさんいて、そういう人たちを「物語」にすることで、日の当たる世界は保たれていて、それを憎むがゆえの「物語にはならない」だったんだと思う。
そして多分こういう分析をされることも望むところではないのだろうな。

これが全部外れていたら(当たってても)久住は嗤いそうだ。





ところで、久住が好きだった人、機捜404の二人が好きだった人、峰倉かずや先生の「WILDADAPTER」を読んでみてほしい。
名前のつけられない関係性の男二人と裏社会と謎のドラッグの絡むリリシズムハードボイルドです。