徒然。

備忘録

凪良ゆう『流浪の月』感想文

3月頃、アニメイトのレジ横に並んでいて、帯の「普通ではない二人の関係性」という文言に惹かれて購入。読み返してから感想を書こうと思ったらかなり時間が経ってしまった。
本屋大賞受賞おめでとうございます。

凪良ゆう先生のBL作品はいくつか拝読していて、特に『お菓子の家~un petit nid~』が好きで何度も読んでは号泣している。
この人でなければ、という「切実に好き」を描くのがうまいと思う。
流浪の月も一章からこれはめちゃくちゃに良作で、めちゃくちゃにしんどいだろうと予感させて、怖い、読んだら多分私はもっと強くてもっとひとりになるんだろうな 、と思いながら読み始めた。
予感は的中して、読みながら更紗の気持ちが痛いほどわかる、と思ってしんどくなった。
自分の立場が覚束なくて、不満があっても強く言えなくて、ぐらぐらと不安定で、それは金銭面や頼れる親類がないこと以上に、心の預け先がないからだと、このときはまだ明言はされていないけれど。
更紗が文と再会して、水を得た魚のようにどんどん強くなる、いや、文と出会った頃の傍若無人で自由で、文を救った更紗に戻るのを私が救われるような気持ちで読んだし、後々になって文も出会った頃から更紗に救われていたとわかって泣いた。
更紗は文の隣に住みたかったことを「居場所だって気がする」と表現したけれど、自分の居場所を見つけられることは、どんなに救われるだろうか。
それが異性かつ恋愛相手じゃないと認められない世の中で(結婚は?と悪気無く言われるくらいには当然のこととされてる)、性的なものでもなく、恋愛でもなく、お互いがお互いを救いだと思える関係をわかってもらうことはとても難しいけれど、そんなことはどうでもいいのだ。
だってお互いがいれば充分だから。素敵だ。そして無敵だ。
二人がこの先、バレたらどこに行こう?と楽しげに話をしているのも、お互いがお互いの居場所だから、どこへだって行けるからだろう。
更紗がそんなものにわたしは救われてこなかったと「善意」を捨てていくところも、とても共感した。
「善意」が同時に好奇心、侮蔑、揶揄、その他にもいろんな感情を含んでいて、純粋な善意ではない、でも差し出す方にはその自覚が(恐らく)ないことが、とてもリアルだと思った。
それを素直に受け取れれば、うまく世渡りができるだろうに、純粋な善意ですらも煩わしく疎ましく思えてしまうから、生きるのは難しい。
ましてや、純粋な善意でなければ、受け取るのはもっと抵抗がある。受け取ってしまったら、自分が苦しめられてしまうから。
かといって、善意の裏に透けて見えるものを指摘すれば、自覚のない方は気を悪くするだけ、酷ければ手のひらを返したようにこちらが悪者にされてしまう、もしくは病気扱いされてしまうのも厄介だ。
悪意のない、でも純粋でもない「善意」を上辺に纏った言動にどうしようもなく溝ができていって、頑な部分がどうしてもほどけなくて、疲弊してしまうことは、ままある。受け取れない自分が悪いのだと悲しくなる気持ちも、でもそれは純粋な善意ではないでしょう?という反発も、どっちも本当だから、心というものは複雑なのだ。
そうして善意を拒むと、「世間」がまた勝手に更紗たちをカテゴライズして、レッテルを貼って、というのも息苦しい。更紗たちはそこにはいないのに、そこに押し込められそうになる。
可哀相も、犯罪者も、被害者も、世間が勝手に押し付けているだけで、当人たちには全然意味がないのに、彼等は「善意」と「正義感」で文を断罪し、更紗を慰撫しようとする。
SNSでも言われている、正義感と善意は時に攻撃的になるということ、そしてそこには「悪意」がないからこそ厄介、というのがうまく描かれていて、読んでいるだけでもとても息苦しかった。
犯罪者だから当然攻撃しても良いという空気も、被害者だから可哀相という空気も、どちらも息苦しい。被害者だって、そっとしておいてほしいこともあるだろうに。
端から見ると異常で、病気でも、結局それは見る側の主観なんだということを忘れないようにしたいし、他人の主観を押し付けられて傷付いても、それは私ではない、と強くあるしかないなと思う。
けれど、傷付けられることはしんどいし、他人の主観に傷付けられるくらいならやっぱりひとりでいたいと思ってしまう。
「ひとりの方がずっと楽に生きられる。それでも、やっぱりひとりは怖い。神さまはどうしてわたしたちをこんな風に作ったんだろう。」という更紗の言葉が痛いほど刺さった。一人でいたいのに、独りは怖い。だから、ひとりではなくなる更紗と、文と、梨花ちゃんに憧れ、羨ましく思う。
事情を知らずに周りから見れば、理解できない関係であっても、当人たちにとっては、とても大切で、心強い関係なのだ。
私たちはそういう関係を否定するべきではないし、他人の関係に口を出すべきではない。だって私には関係のないことなのだし。人と人との関係は、その人とその人にしかわからないのだと、忘れずにいたいと思う。