徒然。

備忘録

死に近き母に添い寝のしんしんと

高校生の現代文の授業で印象に残っているものがある。斎藤茂吉の「死に近き母に添い寝のしんしんと遠田の蛙天に聞こゆる」という短歌を扱ったときのことだ。
この蛙は単数か複数か、という質問を先生がして、挙手をしたところ、複数が圧倒的多数であった。先生も、「天に聞こえるほどだから複数だろう」という解釈で、私はその先生が大好きでとても尊敬していたのだが、そのときばかりはすんなりとは納得できなかった。けれども先生が言うのだからそうなのだろう、と思うことにした。

今になって、やはり納得できないという思いが頭をもたげ、なぜ私は単数だと思ったのかを考えてみたところ、「しんしんと」という語に答えがあった。
私はこの語から、雪の降る情景を想像したのだ。そして雪は無音を連想させた。なにかで、雪が音を吸収するというイメージを得ていた。
音もなく降り積もり、世界の音を飲み込んでいくような雪の夜、人々が寝静まった夜中、母の呼吸が止まってしまうのではないかと眠れずにいる歌人の耳に、静寂を裂くような蛙の声が届き、それは天に響くように聞こえたのではないだろうか、と。
私にはそういう情景が浮かんだのだ。

と、ここまで書きながら、何度も考えるうちに、蛙の声すらも雪は吸いこむのではないだろうか、と思った。
歌とは不思議なもので、読む人それぞれに違う印象を抱かせたり、その時々で違う表情を見せたりする。
そういう瞬間が面白いのだし、そういう違いを楽しむには、その時その時で記録を残しておくことが一番だろう。
なかなか詩歌をゆっくり読むことはないかもしれないが、そういうゆったりとした時間がある、余裕のある暮らしをしてみたいものだ。
なにも文学的なものでなくても、昨今のJ-POPでも良いだろう。なにかをしみじみ味わい、鑑賞することは心を豊かに、穏やかにしてくれるように思う。
いや、そういう時間があるということがそもそも、穏やかで豊かな生活なのかもしれない。