徒然。

備忘録

自殺とかエゴとか

感情の整理ができないので書く。

友人を亡くした。
ネットで知り合っただけの、でも6年の付き合いだった。
会うのは半年に1度程度だけど、2回だけど泊まったりもして、大切な友人だった。
なんで亡くなったのか、私は知らない。
多分、きっと、という予測はつく。
確かめる術はないし、最期にも会えなかった。
墓前で手を合わせることもできないし、お供えも、何もできない。

その人にはよくしてもらったのに、何も返せないまま、会えなくなってしまった。
それから、やりたいことはやろう、会いたい人に会おう、だっていつ、二度と、できなくなるかわからない、と追い立てられるように過ごしてきた。

遊んでいる間は楽しくて、忘れられたわけではないけど、楽しく過ごせていたと思う。
最近になって、ちゃんとその時に、ゆっくり向き合っていれば良かったと思う。
ずっと忘れてなかったけど、目を逸らしたわけでもなかったけど、何回も泣いたけど、そうじゃなくて、生前も含めてもっと向き合えなかったのか、と思う。

生きることを望んでいない人に、自殺を思い止まらせることは多分、きっと、死にたいと本気で思ったことのある人でも難しいんだと思う。
自傷を止めたくても止められないように、自傷よりもきっともっと強い衝動なんだと思う。
死にたい理由はそれぞれだろうし、たくさん積み重なって心折れてしまうこともあるだろう。
生きてほしいと口で言うのは簡単で無責任で、積み上がった問題を解決できるかどうかなんかやってみないとわからないけど、死にたくなるほどの問題を解決するのは至難の技だろう。
それでも何もできなくても生きていてほしいと思うのは、エゴでしかない。
エゴでしかないけど、周りの人が悲しむのがわからないエゴを通すのが自殺なら、それを止めるエゴもあって良いんじゃないかと思う。
今更、エゴを通していたら、と思っても仕方ないけど。
通したところで、思い止まらせることができたとも思えないけど。
生きてほしいと言えなかった後悔より、エゴでしかないな、と思う後悔の方がマシだった気がするから。

どのみち後悔はするし会えないのはつらいし悲しいし寂しいけど。
ほんとは救われたい人もいるかもしれないから。
問題を解決するのが難しかったとしても、想われてるとわかってほしかった。
逝ってしまうとしてもそれだけはちゃんとわかっててほしかった。
応えはないけど。