徒然。

備忘録

言式「解なし」備忘録

ふせったーやついったーに書いたこととか

 

10/26ふせったー

最後の一人芝居やるはずだったのにって話、断られたら一人でやるだけ、と言ってたことも相まってめちゃくちゃしんどくて、最後二人でカーテンコールでめちゃくちゃよかったなあ…になっちゃったんだよな

一人芝居、最後に梅津さんが女性役していたのはもしかしたら一話は橋本さんが男性役で女性は「いる」体だったのかな?

今のところはあんまりかっちりここまでがそうで、という感じではないのかなあ、という気がしているというか、まだちょっとスッキリはしていないんだけど。

書きながら、でも一人だと全然わからなさそうだから二人芝居の聞き間違いだっけ?と不安になってきた。厳密には一人芝居でやる内容じゃなかったかもしれんのでギミックの深追いはやめよう。

「違う」って言っていたのは想像の中の祥ちゃんに対してなのかな。自分の想像を越えてきてくれるはず、とか、こんなものじゃない、とか。

最初どう見てもキレてる感じのカットの拍手というか合図なのに最後めちゃ拍手になるからカットなのか拍手なのかわからなくて困惑した。途中から客席も乗って拍手してて余計に。あの「違う」がなかったら、芝居終わったあとの拍手とも取れなくはないんだけど。とりあえずダブルミーニングと思っておく。わからないものは曖昧なままにしておきたいので。

最後のお話はこうだったはず、とこんなはずじゃなかった、がいっぺんに来ている気がする。

「祥ちゃんが言ったんだよ。芝居のセンスあるなって」2話でグッと来た台詞が更に刺さるものになって出てきて心臓抑えた。今もまだその言葉にすがって生きてる、みたいな感じがより強まっていてダメだった。

一話では亡くなった奥さんが迎えに来てくれてた(あれは後を追うように…てやつだったのか?と今気付いた)けど、最後は当たり前だけど声は届かないし過ぎた時は戻らないし劇場は崩れていくし、最後の呼び掛けが空気に溶ける余韻が寂しくて寂しくて……めちゃくちゃよかったな……

あと一人芝居の橋本さんの台詞が万物は流転するとか行く川の流れは絶えずしてしかももとの水にあらずとかを彷彿とさせたのが好き。残機読んだときも思ったけど、結構水の表現が多くて好き。火よりも水が好きなので。モチーフとして。浮く沈む揺蕩う漂う流れる溺れる、みたいなワードが好き。

 

 

千秋楽配信

例のシーンまた違う感じでコミカルでありつつもちゃんと愛情感じられたな。見えるでしょ!みたいな感じのコミカルさとやれやれ、な感じの愛情表現で、でもコミカルに寄ってるからコントみがあった。私は27日のが好きだけど、コミカルにしたいならあれは優しすぎたのかもしれん。

投げる形が水晶玉かと思ったら伸びたり縮んだり取れたり新しい型が出たりで結局これが何かがマジで解なしですね…

すごい今更だけど、手を繋いだところで手を凝視してたの、感触がしたからなんだな…見てるなと思ったのに全然わかってなかった…そこに祥ちゃんがいる気がしてたんだね…

やっぱり最後のどーん!どーん!のところ、解体の音に混じって祥ちゃんの声が聞こえて(もちろん幻聴かもしれないし、本当に聞こえたかもしれないし、それは本人にも誰にもわからないのだけど)立ち上がれたのだろうな…

しかし千秋楽最後の祥ちゃんがあっさりしてた気がするんだけど配信で見てるからなのかな~

 

 

解なし配信見ながら、不変のものがほしかったけど不変のものなんかないんだよなあ、と懐かしい痛みを思い出すなどした。現地はずっと心臓痛かったけど配信だからか比較的心穏やかに見られましたね…

大人になる過程で落としてきてしまったものを拾い上げてくれている気がする。忘れてるわけじゃないんだけど、そこにかまけてもいられなくなった痛みとかもまるごと全部。

私は夢とかなかったけれど、でも求めても手に入らないものとか、この先どうなるんだろうという不安とか、みんなちゃんと目標あって進んでくから置いていかれてしまうような寂しさとか、覚えのあるものばかりで、ひりひりした。

それと同時に、息が詰まりそうな怖さや死んでしまいたくなるほどの不安が薄れている今を思うと、大人になっちゃったなあ、という気持ちもある。大人にならざるを得なかったし、でもどこかで大人になりきれていないところもあり。

まあ大人になってみれば、思ったより大人も大人じゃないな、とか、なんやかんやみんなテキトーに生きてるじゃん、とか思うこともあるけど。案外言わないだけでみんなそんなもんなんじゃない?と思いたいだけかもしれない。そもそも世間一般の人ってそういう話聞かないから考えてないかもしれない…一般ってどこ??文学部後輩とはよくこういう話するんだけどな。

ナナちゃん絶対マルチだと思ったのにバナナ虫で、汚れきった大人になっちゃったもんだな…と思いました。

 

たんぽぽ農家は新しい夢だと思ってるんだけど、バンドを諦めたとは思ってなくて、だって別にどっちもやって良いわけだし、あの場で決めなくても良いわけだし、でもとりあえず工場長哀しいし手っ取り早く一攫千金ついでに工場なんとかなれば良いな~くらいの軽い気持ちみたいな…私はあの話わりと希望があって良いな~と思っている。黄色ってだけで明るく感じるのもある。

 

なんで死んじゃったんだ、なんてどんなに言っても…だけど遺された方としては思わずにはいられないし、呼び掛けずにはいられないし、でもその声が届くことはない、という当たり前の寂しさが大好きだった。答えのない問いに向き合い続けるしかないのが人生だししんどいけど。

 

ひねくれてる、って一回素直な考えをした上でそこを外すというか選べない、なのかなーと思うんだけど、選べないことが寂しい、になるのかもなあ。信じられるだけのバックボーンがないとか、信じられなくなるだけの傷があるとか。なにかを信じられないことは寂しいことだと思っているのだけれど、信じることってめちゃくちゃ怖くて難しいなと思っているので、寂しくてもその方が安心だったりするんだよな。傷付かなくて済むから。

 

初日たんぽぽが風に舞ってきて手を伸ばせば掴めそうだったんだけど、あんまり綺麗だから動けなくて、まあ後ろにも迷惑だしなとぼんやり見てたら前に戻っていって、伸ばさない選択をしたのは自分だけどなんかちょっと寂しくなったりした。

 

解なし2話見て後輩ちゃんと母校の推し先生が「置いていかないでと叫びながら後ろ向きに走っていくしかない」って言ってた話をしていた。ずっと一緒にはいられないね…

 

佐々木は祥ちゃんに救われたのに、救った方は覚えてないの切なくて…でも救った方って覚えてないよね、救われた方はずっと忘れられないのにね、そういうもんだよね、ヒーローって…そもそも救われた方が勝手に救われただけで、救ったつもりもないしね…

ある日突然見えない手によって救われる、横超みたいなものだけど、でも相手は神様でも仏様でもないから、救ってくれたじゃない、と言ったところで知りません、なんだよね。また救ってよ、も、ずっと極楽に居させてよ、も通用しない。勝手に救われただけだから。寂しいね。

 

祥ちゃんが脱け殻を集めて忘れないでいような、と言っていたように、解なしは、というか推しの書く話は、大人になる過程で落としてきてしまったものを拾い上げてくれている気がする。忘れてるわけじゃないんだけど、そこにかまけてもいられなくなった痛みとかもまるごと全部。

懐かしくて痛くて寂しくてでも不思議とあたたかくて、大好きだったな、解なし。