徒然。

備忘録

ハピ婚追記「無色透明な沼」-普通とはなにか-

仏教の話をしています。特定の信仰はないし、どちらかといえば無神論者(でも神社巡りとかは好き)ですが、思想哲学として仏教や禅の思想は好きです。

素人の解釈なので正しい内容は是非本やお寺さんで確認してください。座禅や写経などもおすすめ。

 

度々「普通」ってなに?という話を見たし、作中の「普通」については2/25にしたけど、そう考えるに至った思想哲学の話。

ハピ婚つらかった、という意見を見て推しが解説してくれていたのでそれ以上言うことはないし、野暮かなとも思うし、推しの説法聞いたらみんな救われただろうけど、現時点での私の「色」の解釈として。

しかしあれをすらすら答えられる推し、普段から考えているんだろうな、というのが伺えて大変信頼できる。

 

春彦が「無色透明な普通という沼」と言ったとき、私はずっと最遊記の三蔵様が般若心経について解説してくれているドラマCDのことを思い出していたし、春彦がやるべきは仏教だな、と思った。

というか固定観念に苦しむ人間は須く仏教やるか最遊記を読んでほしいんですけども。

 

仏教には「色(しき)」と「空(くう)」という概念があり、この「色」というのは、目に見える物質や現象、脳がそこにあると認識しているもので、「空」は目には見えないけど、確かにそこにある、文字通り空気みたいなもの。

ただし、この「色」というのは、自分が見えているものであり、他人が同じものを見ているとは限らない。逆もまた然り。

人間や物質が存在する以上、無色透明になんかなれるはずがない。色即是空空即是色、は色があるから空があり、空があるから色がある。

空気は目に見えないけど、風が吹けば、煙が漂えば、その動きは見える。

無色透明になんかならなくて良い、好きな色を纏って生きろ、というのがざっくりとした三蔵様の説法で、まあこれは最遊記という作品の、三蔵様の解釈だから、違う考え方もあるだろうけど。

(※無色透明になんかならなくて良い、というのは仏教において色は執着で、執着を捨てないと解脱=輪廻の輪から外れて成仏=悟りを開けない、と言われているため。この辺めちゃはしょってるので詳しくは調べてください)

私は執着やら欲が捨てられない、を肯定してくれるこの解釈が好きで、この解釈に拠って生きているので、ハピ婚でこれを思い出していたんだよね。

ハピ婚初見でめちゃくちゃ好きだったのは、元々こういう思考だからつらくなかったのかな、というか、こういう思考になったから春彦を客観視できたのかなと思った。

いやつらくなかったわけではないし、むしろわかる、とめちゃくちゃしんどくなったけど、でも割り切れるというか、痛みの元がわかっていた、という感じだろうか、春彦の言ってることは正直よくわかるな、おぼえがあるな、と思ったけど、今の私の痛みではなくて過去の痛みを懐かしく思うような感覚。少なくない人が思春期に通る話かな、と思っているし、現在も踠いている人もいるだろうけど。

 

自分が何者でもない、何者にもなれない、は誰しも思うことはあるよね。

でも自分が自分をなにもない人間だ、と思ってしまえば、それは自分の中では真実になってしまう。

他人から見たら「普通」だろう、が春彦が自分に見た「色」だった。実際他人からどう見えていたか、は別にして。

春彦はそこで他人から「特別」に思われたくて奇人変人を演じるけど、でもそれってやっぱり春彦の思う「特別」の具体化にすぎなくて、しかもバレづらいだろうところを選んで「それっぽいこと」をしているんだから、視点を変えれば(カラクリを知れば)それって全然「特別」ではないよね?となるし、だから滑ったのでは…なんだけど。空っぽなのわかってるじゃん…

もしかしたら、むしろ春彦が「普通」でしかないと切り捨てた曲の中に、誰かに届いて、広がって、認められる曲があったのかもしれない。500曲も作れるって、全然「普通」じゃないしね…

でも、春彦には自分の色が見えていなくて、無色透明な沼で溺れてしまっていた。溺れていたから見えてなかった、が正しいのかも。

 

春彦は自分を空っぽ、と言うけど目に見えないからなにもない、ということはなくて、そもそも人がいる以上は「空」があるというのが仏教の考え方で。

この「空」にどんな「色」をつけるか、は環境要因もあるから、「特別」扱いの弟を見て、自分にはなにもない、になってしまったのかもな、と思ったりした。

下の子ってただでさえちやほやされるし、上の子は急に放り出されるから、見てくれなくなる、も「特別」な才能だけじゃなくて、そういう些細だと思われている社会通念のせいで、自分のことが見えなくなってしまったのかな、と。

でも自分の目に見えるもの、思うことが「色」である以上は自分次第でしかないから、他人に「特別」に思ってほしい、となってしまうと結局そうならなかったときのギャップや、「特別」じゃないから「特別」を演じることで自分自身では「普通」を痛感してしまう、という自家撞着を引き起こしていたように思う。

それに耐えかねて未知さんに打ち明けて、「普通」な自分の話を聞いてもらえて、漸く少しは自分が見えてきていたところだったんだろうな…じゃなかったらあの電話に「普通に生きたいです」と答えたりしなかったんじゃないかな…

演じ続けるといった理由も今更騙してたとは言えないし、また見向きもされなくなるくらいなら、といった感じだったのも、やっぱり根底に特別扱いされる弟と、見てもらえない自分への寂しさがあったような気もしちゃうな…

今後は自分て選んだみちで、少しでも多く良いことがありますように。

 

それはそれとして春彦にはノイズ般若心経みたいなのでバズってほしい。演じなくなったら売れた、みたいなご都合主義救済もあっても良いよね!

ついでに未知さん生存ifアンソロもください!