徒然。

備忘録

クルム童話ケリナツス千穐楽

初めて当日引換券を取り、いざ引き換えたら一桁後半の上手真ん中寄り!機材席か関係者席なのだろうけど、良席すぎてびっくりした。ずっと上手端寄りだったから真ん中近くで見られるの嬉しかった。

 

昨日の夜公演も見て号泣しているし、昼間にHUBの最遊記歌劇伝外伝鑑賞会に行っていたのもあり、もう涙も枯れているだろうと思って見てたし、実際、今まではイキタガリの声が聞こえたところから泣いてたけど今日は泣かずに見ていられたのに、二度目の儀式を待つ間にジブンギライと話すところから泣けてきた…

 

罪悪感が生んだ虚像のイキタガリがウシロメタサを責めているのも、「愛してるぜ」と囁くのも、こっちに来るのを楽しみにしてるというのも、ウシロメタサが自分にそう言い聞かせながらずっと生きてきたことの証で、それが本当に悲しくて。母親の、きょうだいのせいにした、と罪悪感で苦しんでいたり、直接手を下してなくて、いくらでも言い訳はできるのに、ちゃんと苦しめるところは本当に優しい子だと思うけれど、でも、我が子を殺されかけた親が相手を未必の故意で殺してしまうのを止められなかったのはウシロメタサだけのせいでもなく、彼だけが背負うものでもなくて。彼の苦しみを聞いてくれる人が側にいなかったこと、というか、身内が彼の苦しみの根元となってしまったことが可哀想でならないし、それでも、ちゃんと罪悪感を抱えられるだけの、真っ当さがあることが、(彼にとっては不幸でもあるけれど)高潔だな、とも思う。

パンフレットの対談で、くるむくんが「綺麗事を言える人間でありたい」と言っていたのがとても好きで。くるむくんのこと真っ直ぐで素直な人だとは思っていたけれど、意識的に真っ直ぐで素直である人なのだな、と思えて、誠実だなと思ったんだよね。そうあることは難しいから。妬んだりひねくれたり羨んだり恨んだりする方がきっとずっと簡単だから。ちゃんと自分の悪いところや、世界の醜いところを受け止めたうえで、それでも、綺麗事を言ってくれる人がいることは希望なので。私も諦めずに綺麗事を言って理想を語ろうと思えた。

大学時代に「理想論でしかないけれど、いつか戦争がなくなって子どもたちが幸せに暮らせる世界になってほしい」という旨を出席票に書いたときに先生が「理想論でも良いじゃない。理想を語らなければ、世界は良くならないよ」と言ってくれたのを思い出した。そう言ってくれた先生が大好きだったし、ずっと理想を掲げたいと思っていたのだけど、とはいえ私は無力だし、なにもできないしなにも変わらないし、そもそも自分のことすらままならないし、と思ってしまうこともあったので、くるむくんのこの言葉にめちゃくちゃ救われたし、思い出せて良かった。くるむくんがくれた物語です。

ウシロメタサとジブンギライどちらを主人公にするか、で白のイメージでウシロメタサにした、みたいなお話がパンフレットかモノガタリナにあったけれど、くるむくんのイメージ的にもぴったりだったと思った。ジブンギライが主人公のスピンオフも見たいけれど。

 

「兄貴が愛したオイラのために生きてくれ」

ジブンギライは兄イキタガリから愛されている自覚があるからこそ、きっとそんな兄を羨んで妬んで嫌っていた自分が余計に嫌いなんだろうな、と思えた台詞だった。だからこそ、そんな兄を亡くして、復讐を誓いながらもきっと一番殺したかったのは自分自身だったんだろうな。なんなら、愛されていた兄貴じゃなくて俺が死ねば良かったんだ、もあったのかもしれない。生存者の罪悪感ではないけれど、生き残ってしまった苦しみや、亡くなってからも兄の影がついて回る苦しみに押し潰されそうになっていたのかもしれない。それでもウシロメタサに出会って、兄貴じゃなくてちゃんと自分を見てくれて、痛みを抱えながら生きてることを分かち合えて、きっと救われただろう。もちろんウシロメタサも。「二人で死ぬか」と言いながら、ウシロメタサを殺せない優しいところも、最初はあんなにも焦っていたのに、二度目は二人で逃げようと一直線に向かって行く真っ直ぐなところも、きっとイキタガリはそういう良いところを全部知ってて、自分にはない良いところだとわかってて、だからこそ大切だったんだろうなあ。真面目で品行方正なのに、詰めが甘かったり、ドジだったり、ウシロメタサにも頼りにならないって言われちゃったりするのが可愛いよね。というかもしかしたら、真面目で品行方正のつもりなのは本人だけで端から見たら空回ってる可能性もあるなと思うとちょっと可哀想可愛いになってきちゃった、ジブンギライ…

 

「罪滅ぼしが簡単すぎる」死んで楽になりたいだけだ、と責めながら、「オイラのために生きてくれ」と願うのめちゃくちゃ好き。死にたい人間に生きろ、というのはある意味とても残酷で身勝手(だって死にたさを肩代わりしてくれるわけでもなければ、その後の人生を保証してくれるわけでもないので)だけれど、それでも言わずにはいられないのは、遺された痛みがわかるからなんだろうな。ちゃんと自分と向き合ってくれた相手を喪いたくないよな。ジブンギライが間に合って良かったし、一度あることは二度ある、を綺麗に回収してて脚本もとても良かった。二回目のウシロメタサの「逃げるなら、あっち」が、次は二人で逃げ切ろうとでもいうように力強かったのもとても良かった。二人ならどこまでも行けるね。行ってね。

 

二人とも生きることを選んでくれて良かったんだけど、それはそれとして「二人で死ぬか」は私のヘキのど真ん中すぎて心中もの大好き人間は心のなかで叫びまくりました。あの声でこの台詞聞けるの最高でした…

そのうえで、やっぱり殺せないのも、殺させるのも忍びないと言うのも大好きだった。ウシロメタサがジブンギライには生きていてほしいと思うのも、ジブンギライも同じように生きろよって言っていたのも、結果的に互いが互いを必要として、お互いを生かすことになった。ウシロメタサがジブンギライに言う「生きててほしい」は、祈りだったな。自分は死ぬけれど、お前が生きていてくれるのなら悪くない、みたいな。光のとこにいてね、幸せになってね、生きてね、という深い愛情だった。ジブンギライの分まで、そう祈っているようだった。ジブンギライが自分を愛せない分、兄からも、兄(の妄想)と生きていたウシロメタサからも愛されていたよ。

 

劇中最後の曲「生きてもいいの悔やんでるのにウシロメタイのジブンガヤなのイキテタイんだ変わりたいんだ」と三人の名前が織り込まれているのにグッと来てそこからカーテンコールが終わるまでずっと泣いてしまった。観劇中流れなかった分の涙を流しきった。

この歌、ウシロメタサとジブンギライが出会い、互いの知るイキタガリの話をすることで、生きていたくなかった二人が生きていこうと思えたこと、イキタガリの物語が二人の物語を続かせたことを象徴していて大好き。

くるむくんの優しくて力強い歌声が、二人の今後がたとえつらくとももう大丈夫だと思わせてくれて、悩み苦しみもがきながらも生きていくことを選び取る物語の最後にぴったりで、今までも本当に大好きな曲だったけれど、千穐楽はより胸に迫るものがあった。

一人と一人が出会って二人で歩いていく物語が大好きだから、このお話も大好きだったし、あんまりくるむくんに「一人」のお話のイメージがなかった(いつだったかカンパニーみんなで頑張ろう!ってタイプの座長だと言ってたのもあって)から、こういうお話を見られたことが本当に嬉しい。

くるむくんがニコ生でセンミリ聞いてるって言ってたからそういえばと思ってギヴンの曲をずっと聞いてたから、「うらがわの存在」がウシロメタサとジブンギライみたいだな~と思っていた。「足りないところを君がはみ出してくれる」のところとか。きっと全部わかり合えなくても、二人で補い合って生きていってくれるんだろうな。罪悪感も自己嫌悪も二人で分け合って、イキタガリの分まで生きてね。

この先の人生という暗闇の中に、きっとあたたかな灯りとなってくれる、本当にお守りのような物語でした!