徒然。

備忘録

極上文學ジキルとハイド

極上文學ジキルとハイド、1月22日夜、1月24日昼と観劇してきました。

Kの昇天を配信で見ただけで、極上文學全然知らないんですけど、梅津さんのジキルとハイドは絶対に最高な確信があった…一人二役やると思ってたからキャスト出たときびっくりしたし、悩みすぎてどっちも取りました。

原作は読み物としては短いけど、劇にするとなると多分長いしキャスト足りないので、どうなるのかと思ったら謎の後継者がいて、手紙を中心に据えた構成になってたの、面白かった。

翻訳が違うのを読んでた(私が読んでたのと単語の訳が違ったから)みたいなので、そのせいかもしれないけど原作2割オリジナル8割くらいな気がした。二回目見たら4:6くらいな気になったけど。

そういえばKの昇天も櫻や他の短編混じってたし、あっちは短すぎるからどうするのかと思ってたらそんなでびっくりしたな~と思いながら見ていた。

 

梅津さんハイド

出てきた瞬間から最高。傍若無人、傲岸不遜を体現したようなふんぞり返った歩き方、見下したような目付き、狂ったような哄笑に嘲笑、顔が良すぎて原作のハイドが与えるような不快感からは程遠いけど、「悪」を詰め込んだような姿で、全てが最高だった。顔が良すぎるので、冷たく笑うとめちゃくちゃ凄味が出て良い。

ジキルを撫でる手が色っぽくて最高…悪への甘美な誘いって感じでしたね…悪いことへの誘惑ってなんとなく耽美に描かれること多い気がしますね、なんでなんでしょうね…というか手が綺麗なんですよね梅津さん…細くてすらりとしてて…ジキルが変身をやめられないのも仕方ないよね…てなってしまう。

全体的にゾクゾクする感じの色気たっぷりな悪人で、身を滅ぼしてもいいと思わせる何かがあったね…魔性というかファムファタール的な…

それが最後独自解釈で逆転してジキルに哀願のような制止をするのがめちゃくちゃ最高だった、あの哀れさと言ったら…とても悪逆非道を尽くしてきたとは思えないですね、まあそれは実はジキルだったんだから当然といえば当然かもしれないけど。ジキルが作り出した悪が最後の良心となってジキルを滅ぼすの、結局悪に振りきることも、善を貫くこともできない男の末路という風情があって良かった。

 

梅津さんジキル

ブロマイド見た限りではマッドサイエンティストって印象だったけど、登場したときは腺病質で神経質そうで、おどおどして薬に頼らなければ悪いこともできなさそうな男という印象でしたね。

でも独自解釈を知ってしまっていたからか、笑うとなんか含んでいそうな感じがして、見る順番でも解釈変わるかもな~と思った。

怯えたような態度や苦悩が色濃く出たときにいたぶりたくなる感じがして、そりゃハイドに負けるわ…てなる弱々しさが良かった。頭撫でられてたのめちゃくちゃ好きですね…可愛がられてるじゃん…

これが実は薬を作ってハイドに全ての罪を押し付けて自分は安全圏にいようとする狡猾な男かと思うと最高。

先に梅津さんハイドを見たので、終盤のジキルの高笑いめちゃくちゃ楽しみにしていた。本当にマッドサイエンティストって感じで良かった。身を滅ぼすのが似合う。ジキルもハイドも梅津さんで通してやってほしくなっちゃった。また違う二重人格になりそう。

 

樋口さんジキル

如何にも悪夢に苦しむ好青年という感じで、不憫さ痛ましさを感じさせる、守ってあげたくなるような儚さがあったな。アターソンがジキルに美しいみたいなことを言ってるのもまあわかる、てなる。

ところで原作ではアターソンがジキルとハイドの男色関係を疑うシーンがあるけど、極上文學のアターソンはなんか若干ジキルへのクソデカ感情がハイドへの嫉妬めいた描かれ方をしていて、狙ってるでしょ…となってしまった。

樋口さんジキルのときが特にそんな感じしたけど、梅津さんジキルのときはそこまでではなかったので、多分樋口さんジキルの儚さのせい。守ってあげてほしい願望が見せた幻覚だったかもしれない。

それが最後に悪に転じるの、めちゃくちゃ良かったですね、こんな善良で薄幸で可哀想可愛いお顔の下にこんな狂気を隠しているのたまんないですね。

 

桑野さんハイド

猫背で肩をいからせるようにゆらゆら歩いてて、チンピラっぽさと、ドスの効いた声と、オラついた話し方がこれはこれでわかりやすく「悪」という感じで良かった。睨む目付きが怖くて、ちょっと身が引けたくらい。

でもほっぺたふくふくで可愛らしくて、ジキルよりも若いと言われるところや終盤の独自解釈によく似合うな~と思った。桑野さんの方が第一印象でわかりやすく「悪」だったな。

ジキルを後ろから抱きかかえて頭撫でるところ大好きでしたね…めちゃくちゃ強請って感じ出ていて最高。

 

後継者

原作にはないキャラなので誰??てなってたけどまさかのカルー卿の庶子でそうきたか!と思ったし、彼に事の顛末を暴露した挙げ句に薬を残すの、めちゃくちゃに最悪じゃん。ジキルの罪を隠しただけでなく実験の幇助というかなんなら殺人じゃんアターソン…誰の心にも善悪あるってか…

 

アターソン

原作にはないクソデカ感情をジキルにぶつけるところでつい「許されない想いを一生隠し通すと決めていたのに友人が悪名高い男を相続人にしたから嫉妬に狂ってしまった」ようにしか見えなくてダメだった。樋口さんジキルのときだけだけど…

おかげでモーリスを見たくなりましたね…

 

二重人格だから二人一役かと思っていたけど、原作では見た目から変わるから別の人が演じていたの、わかりやすくていいですね。それぞれが善悪でわかれているようで、その実、善に見えていたジキルが悪で、悪に見えていたハイドが善だったのでは?という見方面白かった。

ジキルが両方を演じていたと見ても良かったはずなのに、ハイドを最後の良心として描いていたの、面白い解釈だな~と思った。

原作駆け足で読んでしまったので、読み返したらそう読めるじゃん!てなるかもしれないけど、最初読んだときは素直に別人格だと思っていたので。

原作で顔を見せてくれとアターソンに頼まれて躊躇うところとか、もしかしたらバレるかもという、危惧があったのかな、て二回目は思ったし。まあ顔違うのに?ていう気もするけど、絶対にないとは言い切れないし。

アターソンが最後にハイドの遺体に涙を溢すのも、ジキルとハイドが同一人物だと心で感じていたからだろうし。

脚本を読ませてほしい…

善と悪の二項対立というか、二元論にするのはナンセンスだと思っているので、善のジキル、悪のハイドの二重人格から、実はジキルの本質が悪で、ハイドは最後の良心だった、という混ざりあった結末に落とすのは結構好きですね。原作だと明確に別れている印象なので。

ジキルがジキルのまま、しなかった後悔をうまくいなせるようになっていたら、ハイドももう出てこなくなっていたのでは?という気もする。人を殺した報いは受けないとならないから、生き延びても…ではあるけれど。

善で在り続けることは難しい、悪への転落は容易い。姿を変えることで罪から逃れているうちに、善で在ることができなくなり、悪の姿に乗っ取られていく、破滅の物語が美しく描かれていて良かったです。極上、納得…