徒然。

備忘録

一穂ミチ『青を抱く』

表題通り、青を想起させるお話だった。

空の青さや海の青さの描写があることが大きいけれど。

宗清の距離の取り方が、寄せては返す波のような心地だった。

明日が変わらずに来ると思えない泉に「約束は、約束をした瞬間のためだけにある」と言ってくれるのが好きだった。咄嗟に出るものではないし、普段からそう考えているんだろうな。後で反古にされても怒らなさそうな穏やかな雰囲気で、ともすればドライでもあるけど、泉に必要な言葉で優しさだったと思う。

あと「わかる」って個人の相性の問題って気がするけど『ひとりとひとり』だって思うより大きい輪でくくる方が安心する、という旨の台詞が好き。人間はひとりだと思ってはいるけれど、大きな輪でくくった方が安心するという気持ちはわかるので。私自身は望まぬ輪でくくられてしんどい方が大きいので、だったらひとりでいいしひとりがいいと思っているけれど。くくりたい人は有無を言わせずくくるし、それに安心したい人の気もわからなくはないから。そちら側にはいられなかっただけで。自分がそれをやらないという自信もないけど。

 

お母さんが胃ろうを「セルフの給油スタンドみたい」と茶化さないと潰れてしまう、というのがリアルでしんどかった。それが強がりでしかないことがわからないほど疎くはないつもりだけど、でも、急に投げ込まれたら戸惑うかもしれないし、不謹慎だと鼻白む人がいるだろうこともわかる。

友人が未遂してセブンスライブって笑っててワードチョイス絶妙すぎて一緒にめちゃくちゃ笑ったけれど、深刻に捉えてたらきっとその後は何も話してくれなかっただろうな、というのを思い出した。そのときは本当に言い回しに笑ったけど、でも、ぼんやり私にはどうすることもできないな、届かないな、と思ったのも覚えている。

不謹慎だ、と思う気持ちも理解できるけれど、でも苦しみの渦中にいる人だって、気を抜くことも笑うことも自虐することもあるんだよね。ずっと真面目にしんみりしていたらしんどいので。無理矢理にでも笑いにするしかないときだって、きっといっぱいあるのに、「そっち側」にいるとつい見落としてしまう。

生きていくことは難しくて、本当にただ生きているだけ、でしかない人も世の中にはたくさんいて、それぞれに理由があって、だからわかりあうことも難しいんだろうな。いつ誰に起きてもおかしくない出来事、をどれだけ自分事として考えられるかは経験と想像力によるところかもしれない。

 

 

高跳びの板に登って、落ちたらと怖がっている

泉に「抱き合って落ちよう」って言う宗清と、はじめて抱き合ったあとに「前に言ってくれた」と同じ言葉を返すのめちゃくちゃよかった。違う意味だけど、一人じゃない、二人なら怖くない、大丈夫、が内包されたそれを、肌を重ねてから返すのが同じ気持ちになったんだな、と思わせて。

宗清が「わかんなくても、わかんないの知ってても『わかる』って、俺は言う。それは嘘にならないと思う」と言うのも好きだったし、そう言いたくなる気持ちもわかる、と思った。わからなくても、わかってあげられてないとわかっていても、でも「わかる」と言いたいのは、相手のことが大切だからで、わからなくてもわかりたい、せめて近くまで行きたい、なんだと思う。そう言う気持ちがあるから、嘘じゃないと思えるんだろうな。

 

はじめての夜に、いつも飄々としていた宗清が傷つきたくない、と当たり前のエゴを晒したことを嬉しいと思った泉も、やっぱり宗清のことが好きになってるんだよね。柔らかいところを開示するって信頼していないとできないし、でも好意があるからこそ、傷つきたくない、と思うわけで。ずっと本気だっただろうけど、どこかで諦めや一線引くところもあったような宗清が、泉に対してそういう面を見せられたのが嬉しかった。

 

二人とも人には話せない秘密を抱えて、それを見せあって分け合えて、よい方向に進めてよかった。

最後のお母さんの話もめちゃくちゃに泣いた。

『光のとこにいてね』のようにはいかなかったけれど、二人の子どもたちが、出会って惹かれて一緒になって、なんだか運命というか必然というか…いつか「きいちゃん」と宗清が、お母さんの話を笑ってできる日が来るといいな。